昔、色んな人のところへ貸し出されていたこの本。
3年間の海外生活のための引っ越しやらなにやらもあって、どこに行ったかわからなくなってしまいました。
改めて買おうと思ったら絶版😂
でもどうしても欲しくて中古本をまた買いました笑。
そして読むときだけ出してきて、いつもは送られてきたときの袋に入れて飾ってあります笑。
この先生の顔を見ていると、生きていることのありがたさを感じるのです!笑
(以下□の中はすべてこの本からの抜粋です)
皆さんが「食べもの」をどのように考えておられるのか、それを問いたいのです。食べものとは「栄養のあるもの」で、それを食べることで私たちは元氣で活動できるのだ、と答えられるでしょう。
しかし、よく考えてみてください。食べものはじつは「いのち」であるのです。この大切な「いのち」を私たちは天からいただいて、生かされているのだということを、はっきり自覚しなければならないのです。
私たちは生命あるものを食べて生きています。
生命ないものを食べても生命を紡いでいくことはできません。
生命が生命を生み、育てていきます。
その中で、食べられることによって次の生命を育てていく生命があります。
そこへ思いを寄せずに生きていくことは罰当たりなことだと思います。
私たちは生命をいただいて生かされている、それを忘れずに生きていきたいと思っています。
三〇品目を食べないと、栄養満点の食事にならないと考えるわけですが、それは白米めし、白砂糖、白パン、大きな魚とか牛の肉といったものを食べるからです。
米でも麦でも玄米・玄麦をそのまま、また砂糖でも黒砂糖を、魚もチリメンジャコやメザシなど頭から尻尾まで全体を食べるようにすれば、三〇品目も食べる必要がないのです。これなら、せいぜい一五品目も食べておれば充分なのです。
マクロビオティックでいう、一物全体、まるごといただく、ということです。
エスキモーがあんなに偏った動物食で健康でいられたのは、頭から内臓からすべてをありがたく食べていたからだ、と聞いたことがあります。
動物の内臓にも、野菜の皮にも、捨て去ってしまうような部分にこそたくさんの栄養が含まれているといいます。
しかし、栄養の観点からだけでなく、一物全体の真の目的は、生命をいただく相手に感謝して無駄なくまるごといただく、ということだと思っています。
これは、人類独尊という差別思想が根底にあるのです。
人類に都合のよい「いきもの」は飼い慣らして利用し、都合の悪いものは、平気で殺すといった残酷なことをやってきたのです。農薬をばら撒いたり、抗生物質を乱用したりするのは、病害虫を皆殺しにするためです。
このような人類独尊という差別思想に基づいた生き方がいつまでも許されるはずがないのです。天はそれを許さない!
いまこそ私たちはこの誤りを謙虚に反省し、あの2500年前に釈尊が説かれた真の平等思想(「いのちある」すべてのいきものは皆共存共生すべきである)を素直に聴き入れ、それを単なる頭だけではなく、実際に実行すべきときがやてきたのです。
もはや、それをためらい逡巡していることは許されない。
私は自分自身の、そして家族の健康のためにオーガニックな食材をできるだけ選んできました・・・。
これは自分たちのため、です。
意識が向いていたのは、いつも自分たち人間の方だったことがわかります。
せいぜい今、目の前に並んでいる食べものに感謝していただけで、その食べもののを育んだ周りの環境、生き物のつながりにまで思いを馳せることはできていませんでした。
抗生物質で殺されていく細菌たち、農薬で殺されていく昆虫たち、そして食用に飼いならされ、閉じ込められて生を全うできずに殺されていく家畜たち。
家畜たちは目に見えるけれど、目に見えない、目に触れないところにいる小さな生き物たちのことを想像できていなかった自分に気付かされます。
見たくない、触れたくないものは思考の外へ放り出してしまいがちです。
食べものに対する感謝の念だけではなかったのです。
私たちに必要だったのは、生命のつながりをたどること。
今現在の横方向の生命のつながり、そして過去と未来への縦方向の生命のつながり。
その中で私たちは生きている、生かされていることを認識することです。
認識することから始めて、そして著者の言う通りできるだけ早く実行に移さなければ、もう時間がないのかもしれません。
少食というのはなるべく動・植物の「いのち」を殺生しないという、愛と慈悲の具体的表現であるということもわかるようになってきました。この愛と慈悲の少食を実行する者に天は「すこやかに老いる」という幸せを与え給うのであります。してみると、少食(正食)こそ健康生活の原点であると言えましょうか。
さらに少食の実行で、21世紀の人類がぜひ克服しなければならない大問題、すなわち地球環境の汚染、それに世界の食糧不足の危機などを解決することもできるということがわかってきました。
少食がさまざまな地球規模の問題を解決する、ということを静かに訴え続けていらっしゃいました。
どうして病気になるのか。
それを私たちに問い続けたお医者さんであったと私は思っています。
その問いかけを真摯に受け止め、人はなぜ生まれてきたのか、人のあるべき姿とは、と問い続けていきたいと思います。